2015年10月31日

キキさんのアルバイト 第一話 第一章

朗読ファイル


1. 家政霊のキキさん

 何でもない存在として発生した。
 そして、世に仇なす存在としてさまよっていた。
 そんな彼女にマスターはキキという名前を与え、仲間を与え、仕事を与えた。彼女は生きるという事を、生き甲斐という事を教わった。
 そのマスターが異世界に旅立ってから、もう随分と永い時がたった。
 必ず戻ってくるが、それは何時になるか分からない。
 マスターはそう言って、キキさんと四人の仲間にすべての財産を残し、自由に生きるよう命じて旅だった。
 キキさんを含めた五人は当然マスターに付いて行きたがったが、異世界を渡り歩く能力を持つのはマスターのみ。旅を何よりも愛するマスターの気持を汲んで、彼女たちは心から尊敬する者を見送らざるを得なかった。
 マスターが行った後。
 キキさんを除く四人の仲間は、マスターが戻った時の再集結を誓って旅に出た。
 それぞれ、何もすること無く屋敷にこもっているような性分ではなかったのだ。
 全員、かつては力弱かった者たちだが、マスターとの冒険を経て大きく成長し、一人立ちするには十分な力量を養っている。皆、旅費は旅先で稼ぐと言って、当面の路銀だけを手にし、拠点であった館を離れていった。
 キキさんのみが、そこに残った。
 彼女は家政霊。
 性格としても能力としても館の維持管理はお手のものだったし、いつになるか分からないとは言え、マスターの帰りを寂れた無人の館で迎えるわけにはいかない。旅に出る仲間たちの帰る場所も必要だ。
 そのような理由で、キキさんは今、一人で館の管理を行っていた。


2. キキさんの困りごと

 キキさんは困っていた。
 そこは中央に円卓が置かれた、館の中でも大きな部屋で、マスターや仲間と共に会議室として使っていた。
 円卓で座る場所は決まっており、キキさんの席はマスターのちょうど正面。彼女はマスターの顔を見ることができるその位置を心から愛していた。
 今。
 彼女はその席に座り、分厚くなった家計簿を睨んでいる。ふと顔を上げるが、かつてその視線の先に常に居たマスターの姿を、今は見ることが出来ない。
 キキさんは、30前後くらいの人間の女性を思わせる容姿で、背格好はスラリと高く、灰色とも黒ともつかない色の髪をうなじあたりでまとめ背に垂らしている。その顔には、高い知性を感じさせる物があった。
 上質な布地だが質素で丈夫な紺のロングスカートに、煉瓦色の厚手のブラウス。頭には飾り気の無いカチューシャを付け、肩まで覆う白い大きなエプロンを着用している。
 家政霊であるという証に、その耳は長く尖り、髪と同色の羽毛に覆われていた。ロングスカートに隠されているが大型犬を思わせる尻尾も持っている。そしてその脚には鳥のような鱗と蹴爪が存在していた。
 彼女は、上げた視線を再び手元の書類に落とした。
 そこには、マスターが残していった財産が、どう見ても目減りしている事を示す数字が並んでいた。
 当然といえば当然ではある。
 キキさんは広い館を常に完全な状態に保つことを最優先してきた。そのためマスターが旅に出た後、外から収入を得るということはなく、しかしキキさんの食費も、掃除に使う道具も消耗品も、決して無料では手には入らないのである。
 無駄遣いはそんなにはしていないつもりだったが、それでも一人で生活する無聊を慰めるために、趣味の機織りに使う糸などは買っていたし、時には酒を初めとした嗜好品も購入した。
 もとより五人とマスターが冒険の旅で稼ぎ、館に残した財産は決して少ない額ではない。今のままの生活を続けてもすぐに文無しになるということはなかった。
 だが、もしマスターの不在がさらに永く続き、それでもやっと帰ってきた時。
 その時に、もしも資金が尽きていたら。
 資金管理の失敗。それはキキさんにとって耐えられない事だった。
「仕方がないですね」
 キキさんはため息をつきながら独りごちた。
 常にマスターを完全な形で迎え入れる状態を保つ事のみに力を注ぎたかったのだが、理想と現実は違ってくるものである。軽い逡巡の後、彼女は決意した。
「アルバイトを探さなければ」
 それまでにらめっこをしていた分厚い家計簿を閉じ、彼女は立ち上がる。
 家計簿を、壁に作り付けられている巨大なキャビネットの定位置に戻し、腰につけていた鍵束もそこに仕舞った。一本だけ、常に携帯しているマスターキーで施錠すると、チリひとつない部屋を静かに渡り歩いてドアの前まで行き、そこで円卓のマスターの席に向かって一礼をしてから、完璧な作法を守って退出した。
 ドアが閉められた一瞬の後。
 誰もいなくなった円卓の間に、錠を下ろす音が重々しく響き渡った。


3.キキさんのプライベート

 キキさんは仕事と私事をきっちりと分けるタイプである。
 例え館に一人であろうとも、仕事中は独り言ですらですます調になる。
 そんな彼女が完全にスイッチをオフにする場所の一つが私室だった。もとより細やかな性格で、片付いている状況を好むため、自分の部屋であっても散らかしっぱなしということはありえないが、それでも現在の館の中で最も生活感があるのがこの部屋になる。
 キキさんの趣味である機織りや服飾のための織り機に機材、作業台が並び、多くの布や衣服が収められた行李が置かれている。その向かい側になる壁際一面は本棚が占拠しており、硬軟とり混ぜた多くの書籍が収められていた。奥にもう一部屋あり、そちらは寝室になっている。
 仕事上での彼女しか知らない者が見たら、そのイメージよりも雑然としていると感じるかもしれない。実際には、物の多さの割にはかなり整理されているのだが。
 部屋に戻るやいなや、彼女は仕事着を脱ぎ捨て、外出用のスカートと白のブラウスに着替えた。仕事着は、普段ならばすぐに洗濯するのだが、今日は洗濯物を入れるカゴに、畳んで放り込んだ。
「まったく、ままならないな」
 素の口調に戻っている。
「……仕方がない。バーに行って聞いてみるか」
 館は人里離れた森の中だが、近くの街に行きつけのバーがあり、顔の広いバーテンダー兼オーナーが切り盛りしている。
 資金が減少している事を意識してからはご無沙汰していたが、彼に聞けばアルバイト先の一つくらいは紹介してくれるだろう。
 着替えながら、キキさんはそう考えていた。続きを読む
posted by ロキ at 12:51| Comment(2) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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